2017年1月6日金曜日

映画「Silencio(沈黙)」を観て

予告編を見た時から、行きたい行きたいと言っていた映画「Silencio (沈黙)」
試写会のチケットをとーさんが手に入れてくれました。


はたして満足して映画館を出るか、長過ぎると感じるか。
期待と不安を胸に抱きながら、ど真ん中の良い席で鑑賞することにいたしましょう。



遠藤周作原作の「沈黙」を、マーティン・スコセッシ監督が映画化したアメリカ映画です。

17世紀、キリスト教禁圧下にあった長崎で棄教したといわれる師の真相を確かめるために、
日本に旅立った若きポルトガル人宣教師ロドリゴとガルベ。
真相は?そして若き宣教師たちの運命は?

予告編を見て、リーアム・ニーソンのアドベンチャー映画を期待した人はがっかりすると思います。
「ハポン、オモシロソー。」と観に行った日本オタクのスペイン人もがっかりすると思います。

映画は3時間。予告編のようにスリリングではなく、映画は実にゆっくり進行するのです。
途中で席を外したスペイン人たちもいました。
映画が終わった際に、拍手もありませんでした。
翌日の新聞の批評も、いまいちぱっとしません。

でも私は好きでした、この映画。

窪塚洋介が演じるキチジローは、簡単に人を裏切る弱い人間で、裏切る度に宣教師ロドリゴに懺悔をして神の許しを請うのだけれど、最後に棄教をして宣教師ではなくなったロドリゴが、キチジローの懺悔を受け入れるシーンが素晴らしい。
神が人を許すのではなく、人が人を許すということ。宗教を超えた熱いメッセージが込められていると思います。

踏み絵の執行シーンで役人がささやく。
「ほんのちょっと端っこだけ、形だけでいいから。それで自由になれるんだから。」
踏んで自由になってくれという思いで、足を踏み絵の上に無理やり持っていく役人。
神への誓いを守り抜くために断じて踏まないキリシタンたちの間で、キチジローは、いとも簡単に足を下す。
だがしかし、踏み絵を踏まないことを神は望んでいただろうか。
キチジローは神を冒涜したのか。私にはそう思えませんでした。

通辞(通訳)の役人が投獄されているロドリゴに、「拷問死罪になった村人たちは神のために死んだのではなく、あなた(ロドリゴ)のために死を選んだのです。」と話すシーンも、神の名において殺戮を繰り返すIS、テロの愚かさ、そして宗教だけではなく他国への政治、ビジネス介入などの傲慢さを諭すメッセージと受け止めましたがどうでしょう。今後の映画批評が楽しみです。

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